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福岡高等裁判所 昭和34年(う)759号 判決

被告人 田中光子

主文

本件控訴を棄却する。

理由

同(弁護人の)控訴趣意第一点(訴訟手続に関する法令違反の主張)について。

記録を精査するに、原審第一回公判期日に被告人は「起訴状記載のとおり相違なく、処罰されても仕方ありません。」と陳述したので、裁判官は簡易公判手続によつて審判をする旨の決定をなしたところ、同第四回公判期日に従来の私選弁護人が辞任したので裁判所は国選弁護人を選任して審理を進めたところ、被告人は「第一回公判のとき売春の目的でうろついたことを認めましたが、それは弁護士さんが否認しても無駄だと言われましたので認めましたが、ほんとうは違います。」と供述して、有罪の陳述をひるがえしたことは、所論指摘のとおりである。しかし、有罪の陳述は簡易公判手続開始の要件であつて、その続行の要件ではないと解するのが相当であるから、冒頭手続において被告人が有罪の陳述をして適法に簡易公判手続が開始された本件においては、爾後の階段において被告人が有罪の陳述をひるがえても簡易公判手続は不適法となることはなく、刑事訟法第二九一条の三前段の「簡易公判手続によることができないもの」には該当しないので、簡易公判手続によつて審判をする旨の決定を必ず取り消さなければならないものではない。しかし、同法条後段の「これによることが相当でないものであると認める」べきか否かについては更に考案を要する。被告人は原審第四回公判期日に有罪の陳述をひるがして、「私は逮捕された当日ラーメンを食べて薬を買つて帰ろうと思つていましたところ、私が前に知つていた人が今晩はと挨拶されましたので私も挨拶しているときに、外の女の人がポリが来たと言つて逃げ出しましたので、私はバスの車庫の方へ行つている時に逮捕されました。決して売春の目的で出ていたのではありません。」と供述する(同公判調書中被告人の供述記載)のであるが、右供述は容易に信用することができるであろうか。同供述記載によると、その薬は胃の薬で、その時まだ買つておらず、ラーメンを食べて買うつもりであつた、というのであるが、被告人は福岡市緑橋通り六組北口徳雄方に間借りしていたのであるから、その薬は右居宅附近で購入できる筈であるのに、わざわざ右居宅から程遠い本件現場の福岡市馬場新町西鉄バス車庫附近にまで出向く特段の事情は認められず、またラーメンを食べるにしても右同様のことがいえる。また同場所は外の女の人がポリが来たといつて逃げるような場所即ち警察官が売春取締をしている場所、換言すれば街娼が屡々客待ちしている場所であり、またラーメンを食べて薬を買うためにその場所に出向いたという被告人の供述が真実であるならば、外の女の人がポリが来たといつて逃げ出しても、被告人があわててバスの車庫の方へ行く(同供述記載の他の箇所では逃げた)必要はなかつたと思われる。また同供述記載では、被告人は前に売春で不起訴処分になつてからは絶対に売春はしないと誓つていた、というのであるが、同記載の他の箇所によると、被告人は婦人相談所に身柄を収容され梅香寮(保護施設)に収容されていたが、荷物や身廻品を整理するため本件逮捕一月位前に同寮を出たといいながら、前掲北口徳雄方で寝たり起きたりしていて、そのような整理もせず、また梅香寮に戻つてもおらず、また同供述記載では、被告人は本件当時女中奉公をしていた、というのであるが、その詳細は全く不明である。かように有罪の陳述をひるがえした供述を詳細に分析すると、その内容は矛盾撞着不合理を極め、容易に信用することができない。そうだとすれば、被告人の第一回公判期日における有罪の陳述こそ真実を語るものであつて毫も自由意思に反するものではなく、その他記録を精査しても簡易公判手続によることが相当でないものであると認め得べき事情は全く窺い得ない。従つて原審が簡易公判手続によつて審判する旨の決定を取り消さず右手続によつて審理を進めたのは相当であり、所論のような訴訟手続に関する法令違反の点はない。論旨は謂われがない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 青木亮忠 木下春雄 内田八朔)

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